戦争中はどこの家庭でも「お父さん」がいません。
残った男達は年寄りと病弱な人、そして子供たち。
戦いに行った男たちは命がけで戦場を駆け巡り、
残された家族たちも、戦禍と飢えに苦しんでいました。
結果的に、金沢への空襲はありませんでしたが、
B29の爆撃機の音を聞く度に、
恐怖で身を固め、身を寄せ合っていたと想像します。
戦後は沢山の戦争孤児達がいました。
私の家にも大阪の従兄がいました。
父親は戦死、母親は大阪の空襲で
亡くなりました。
ガダルカナル島から帰ってきた叔父は
決して戦争の話をしませんでした。
幼い私にも
「言葉に出来ない程辛い経験なのだ。」
と伝わってきます。
ある時、蛇を怖がる私に
「蛇はごちそうだった」と話したことが
唯一の戦争の話でした。
戦争の悲劇を繰り返さないためにも
もっと話をして欲しかったと思います。
食事の用意をしながら、
何気ない日常に改めて感謝です。
そして、国のため、家族を守るために
命を懸けて戦った尊い魂。
空爆や原爆の犠牲となった魂に
祈りを捧げます。